フランスのパン屋さんが1週間連続で店を営業したら、それは法律違反だからということで日本円にして39万円相当の罰金を科せられたというニュースを見ました。日本では過労死について考える公聴会で「週休7日なら幸せなのか!」と議員が言い放つなど、ディストピア感満載なのに、さすがフランス素晴らしい国です。行ったことないけど。

僕は人材というのは資源だと考えています。生命として尊厳があるのはもちろんなうえで、資源としても大切にされなければいけないと思います。次の資源を育てる観点なしに現在の資源を使っている連中は、すべて泥棒です。子育てをサポートしない会社、預かった人材を無茶な使い方で過労死させる会社、自分たちで育成することを放棄して「仕上がった新古品」だけを求める会社、廃棄するときの責任を負うのが嫌だからと派遣・契約・バイトだけを求める会社。全部クソであり、全部資源泥棒です。

評価することだけはいっちょ前のくせに、連中は「人材」という恵みに感謝することはありません。恵みに感謝しないぶん、同じ「採ってくるだけ」でもキノコハンターなどの狩人・採集系よりなおタチが悪い。狩人も次を育てないって意味では同じなのでしょうが、採りつくさないように気遣いながら、自然の恵みに感謝しているだけまだマシです。過労死助長野郎は、天然資源を野放図な採集で枯渇させ、貴重な海洋資源等々を絶滅させるのと同じマインドです。自分の都合しか考えていない。そして、それに気づいていない。

その意味では、日本もフランスくらいきっつい罰があってしかるべきです。この少子高齢化まっしぐらの社会で、貴重な天然の人材資源を無理遣いするなど言語道断です。確かにフランスのパン屋は、一週間働いたくらいで39万円も罰金を負うのは大変でしょう。周辺の住人も、パン屋があいているのは助かりますから、パン屋に同情もするでしょう。

しかし、同情してはダメなのです。

みんな横並びでシュウイチペースで休んでいるはずのパン屋が、ある日どこか一軒だけ無休になったら。そのぶん、ほかのパン屋が休みの日に「開いているパン屋」に売り上げが流れます。そうなれば、ヨソのパン屋も店を開けざるを得なくなるでしょう。お客をもっていかれたら自分が死にますから。やがてそれは全員が24時間営業のデスロードへと突き進んでいく道なのです。

そのなかでさらに味や値段で生存競争が発生したとき、「自分が死ぬのはいやだから」ということで、ちょっと我慢して残業したり、ちょっと減給して耐えたり、どんどんどんどんガマンを重ねていくことになります。そして最終的にはやっぱり死にます。無制限の競争へと社会を導いていくことは、勝者以外全員死亡の未来なのです。いくとこまでいく前に止めないといけない。それがフランスのきっつい罰金なのです。

一方で、日本では過労死事件で企業が負った罰金が「50万円」だというじゃないですか。フランスが1週間で39万円なのに、日本は過労死案件で50万円ですって。ひどい国もあったものです。ぶっ壊れたクルマを捨てるのだってお金がかかるのに、人間をぶっ壊して50万円なら、そりゃぶっ壊すまで使って、捨てて、新しいのを買いますわ。「修理するのは損する気がするから新しいの買ったほうがいい」って発想、僕も電化製品に対してはもってますとも。

年中無休24時間営業であったり裁量労働制であったり高度プロフェッショナル制度であったりは「禁漁期間のない漁」のようなものです。いつでもいつまででも採っていいということになれば、必ず採るヤツが生まれ、最終的には資源が枯れて全員死ぬのです。資源がめちゃめちゃ豊富なときはその危険さに気づかないというだけで、「育てずに採ればいつかなくなる」は当たり前のことなのです。

自営業だろうが何だろうが関係ありません。

人間をそのような遣い方をすることは、たとえ自分自身であったとしても禁止すべきなのです。誰かが無茶をし始めれば、「競争」という名の免罪符によって、みんなが無茶する方向に圧力がかかっていくのですから。僕はそれを「労働力のダンピング」などとも呼んでいます。自分自身の扱いだからといって、勝手なことをされるのは迷惑なのです。それは競争のルール違反です。

「記録を出すためにドーピングをします」

「教育のために鉄拳制裁をします」

「成果を出すために年中無休24時間働きます」

全部、効果は出るかもしれませんがルール違反の行為なのです。

僕は週休7日だったらどんなに幸せだろうと思います。休みというのは何もしないという意味ではなく、生きるために必要な労働にとらわれない日が週に7日あるという意味です。その期間、生きるために必要ないこと……つまり金にならないことをできるなんて、なんて楽しいのでしょうか。そうしたら僕は後先を考えず、決して日の目を見ることのないプロ野球選手への夢を追いかけてバットを振り回せるでしょう。毎日プラプラ散歩しながらバットを振り回しているヤツがいたら通報されるかもしれませんが。

金になることだけで一週間を埋めてもキラッキラしている人にはわからない気持ちかもしれませんが、金にならないことや、誰も褒めてくれないことでしか生き甲斐が得られない人もいるのです。努力不足とかではないのです。そういうものなのです。好きなことと、向いていることが違うことはあるのです。そのなかで全員がそれなりの幸せを得るためには、生きるためのことと生きるために必要のないことの折り合いが必要であり、「休み」というのは必要なルールなのです。

「生きるためのこと(主に仕事)」
「次の資源を育てるためのこと(子育てなど)」
「それらと関係ないこと(いわゆる休み)」

この3つのバランスを取るなら、週休4日制度というのが僕なりの仕方ない折り合いではないかと思うのです。3日は自分が生きるために使い、3日は次の資源を育てるために使い、1日は何とも関係がないことに使う。今ひとりでやっている仕事をふたりでやり、3日ずつ交代でこなし、1日は全員休む。それぐらいで「生きるためのこと」が終わるようにしていかないといけないのです。その理想からハミ出し、さらに現状からも悪化させていく方向への改革が進んでいくかと思うと、一日も早く7億円を手にしてこの世界から脱出せねばと思います。5000兆円などとは言いません。7億でいいです。「大金を手にしたら人間がダメになるかどうか」の実験材料として、抜擢されたりしないものでしょうか。絶対に生活を持ち崩さず、淡々と生き続ける自信があります。非常に自信があります!挑戦者求む!