仮想通貨で7億儲けて死ぬまでゴロゴロしたいと思っていた矢先、コインチェックとかいう取引所から580億円もの仮想通貨が盗まれたというニュースを聞きました。一体その取引所は何のチェックをする会社だったのでしょう。僕も仮想通貨を買っていたら盗まれていたのでしょうか。ていうか本当に盗まれたのでしょうか。「580億円盗まれました!てへぺろ」って言ってくるだけのヤツの言うことを、どうして鵜呑みにできるでしょうか。怖いです。

僕は信用というのは時間でしか生成されない、一番厄介で一番重要なパラメータだと思っています。新しい技術というのは素晴らしいものがあるかもしれない。スタートアップに飛びつくのは、それはそれで楽しいものです。しかし、そこに「信用」というものを含めては絶対にいけないと思っています。

人間は自分で思っているほど賢くはありません。やってみるまでわからないことはたくさんあります。そして、やられて初めて気づくこともたくさんあります。季節の変化や、ちょっとしたトラブル、体調の良し悪し、誰かの悪知恵、あらゆることで結果は左右されます。そこにはもしかしたら致命傷となるような、ごくごく稀に起こる事象もあるかもしれない。

そうしたリスクがナイと「信用」するのは、時間をかけて大量の人柱を積み上げることによってのみ可能となるのです。何万人もの人が集まり、賢い人からバカ者までが利用し、何年も何年もさまざまなアクションで取り扱ってなお、甚大な問題にいたらなかったときようやく「もしかして大丈夫かな?」と考えてもよいのです。

仮想通貨は素晴らしい技術なのかもしれない。知らんけど。しかし、信用という意味ではまだほとんどゼロと言ってもいいでしょう。技術そのものは素晴らしいものだったとしても、人柱はまだ全然積まれていません。それで損をした人、盗まれた人、持っていることで不幸になった人、奪い合いによって起きる悲劇、さまざまなことを経ていない。「日本円」や「ドル」の、まぁ大丈夫やろ感には到底及ぶべくもありません。北朝鮮の金よりはマシかな程度で。

それは人柱を見ながら、コレはアカンのやな、ココは気をつけなアカンという学びを十分にできていないということです。「一番最大でココまでのヒドイ目に遭う可能性があるやろなぁ」という覚悟は誰にもできていない。作った人も、取引している人も、買っている人も。Suicaでさえホントに使い始めたのはスタートから15年後くらいなのに。

50年、100年とつづく会社ならば少し先の未来を信用しても大丈夫かもしれないけれど、できたばかりのモノの未来は到底信用できないのが普通の考えではないのかと、僕は自然に思うのです。ましてや仮想通貨などというのは、「信用」そのものが商品なわけでしょう。新しい技術のチカラで、絶対に不正のない取引を保証するという発明らしいですから。「信用」を核とする商品に「信用」がないのなら、それは本末転倒です。

もちろん、素晴らしい技術であるならば、最初に飛びついた人は得をするのでしょう。飛行機で最初に空を飛んだ人は誰も知らない景色を見たはずです。そのかわり、「うわぁ、そんなことで落ちて死ぬんだ」というリスクの人柱として、常に危険を背負うのです。僕は飛びつくにしても「落ちても死なない程度の高さ」で様子を見たいのです。臆病なので。

落ちても死なない程度の高さ……「たとえマックスまでヒドイ目に遭っても、諦めることができる」範囲は、僕の場合だと1万円くらいでしょうか。3万円も最悪耐えるかもしれないけれど、5万円はちょっとしばらく転がって「アーーーーー」って言う感じな気がします。だから、エロ動画販売会社のアヤしい新サービスでも1万円くらいならまるごと盗まれてもいいか、という気持ちで突っ込んでいたりするのですが、もはや仮想通貨はそれすらもアヤしい。「1万円突っ込んだ仮想通貨が1000万円に値上がりし」「だけど取引所から大量に仮想通貨が盗まれたので」「日本円で口座に返金いたします、ただし出金はできません」「それは雑所得だから税率50%なハイ500万円」でトータルでマイナス499万円になったりとかしないとも限らない。事前には想定していなかった可能性が、人柱が積み上がるごとに見えてきて勉強になります。

被害感情を逆なでするつもりはないのですが、2年先・3年先の未来を約束するのなら、最低でも20年から30年は時間をかけて培われた信用が必要なのではないかと思ったりします。「晴れ着の予約は2年前」みたいな話とか、「家賃30年保証」みたいな話を聞くと。やっぱり難しいと思うんですよね。明日、何があるかわからないわけですから。20年・30年ってのは「何かがあっても乗り越えてきた結果」なんです。素晴らしいことなんです。江戸時代からつづく饅頭屋は、すごく美味いとは限らないけれど、最低にマズイってこともないのです。200年つづいた老舗は、それだけで価値があるのです。

最近の、「信用」を軽視しすぎている風潮が、そういった事件の背景にあるのかなと疑っています。

成果主義なんてのも「信用」の価値を捨てた、歪んだ考えでしょう。去年と同じことを同じようにやった、それは能力としては無成長かもしれないけれど、信用としては1年分の上積みがあるのです。1年間、大きなトラブルや裏切りをせずに、仕事をまっとうした。それは何よりも得がたい価値なのです。人材の流動性などと言って、成果パラメータだけを見るのは、「信用」をまったく軽視した行動です。たまたま上手くリスクを切り抜けられているだけで、いつどこで裏切り者が入社してくるかもしれないのに。何故、今そこにいる並平凡な20年戦士・30年戦士を大切にしないのか。少なくとも、そいつは裏切らないだろうに。

価値=信用×能力です。信用ゼロなら価値もゼロです。

逆に信用100なら能力1でも、そこそこの価値はあるのです。

能力はさまざまな方法で成長しますが、信用は時間によってのみ増えるのです。急には増えないがゆえに、積み上がったものは強いのです。僕はそう思っています。

僕は能力よりも信用で物事を判断するもので、7億儲けられるかもしれない不確かなチャンスに5万円のリスクを背負うくらいなら、その5万でカップラーメンでも買ってゴロゴロしていようと思ってしまうのです。仮想通貨は悪さをするかもしれませんが、カップラーメンは「ほぼ」悪さをしないことを何十年もかけて確認してきていますので。カップラーメンばかり5万円食べ続けても死にゃせん、くらいには信用できる。仮想通貨を信用するには、たとえば580億円盗まれた会社が潰れて世間に甚大な被害が出てもなお、その技術を信じる人々が再び立ち上がって20年・30年と歴史を紡いでいってからかな、と思います。

なるほど、これじゃ7億儲けられないわけですね。

僕の判断基準だと、みんなが7億儲かり、誰も死なないことを20年・30年かけて確認できた場所にしか金を掘りに行かないことになりますから。

そのときにはもう金、ないですね。砂金だけ。

どうりで、こうなわけだ。

7億は遠い。




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