日記のように見せかけて告知です!

日刊SPAさんで間借り連載させていただいている穴場競技探訪記事が更新されました。いつもならまとめてドンと出しているのですが、今回は「二日にわけて前後編」で出しているとのこと。そこはかとないテコ入れ感が漂っている気がするのは僕だけでしょうか。若干PVが足りていない気がしますね。ぜひ応援のためにクリックしていただけるとありがたいです。大切な趣味のモチベーション、守っていきたいですからね。

<前編>


<後編>


最近は何でもすぐ「世界に出ろ」って言うじゃないですか。そして、閉じこもっているとガラパゴス化とか。でも僕はガラパゴスは好きなんですね。ガラパゴスの動物は、あのまんま世界に出たら絶滅するわけじゃないですか、たぶん。それが結果生き残っているのはガラパゴスだからだと思うんですよね。弱さは多様ということであり、狭いは稀少ということです。

最強のものだけが世界を席巻するっていうのが、情報化であったりグローバル化なのだとしたら、僕はそういうのに巻き込まれたくないです。競争もしたくないし、洗練もされたくない。多少いびつでも、少しヘンでも、無駄があっても、そのままで生き残っていけるような、そういう場所がいいなぁと思っています。商店街の個性的な小さなお店がやっていけるような。パッとしない中小企業が何となく地縁でやっていけているような。

だから、ガラパゴスでまぁまぁ生き残っていけているものは、無理に外に出ないほうがいいんじゃないのかなぁと思うのです。「世界」にさらされたら淘汰され洗練されちゃうじゃないですか。そこで成長したい、成長できるというモノはもちろん世界に出ればいいですよ。ただ、今がもう十分に気持ちいいなら、今のままでいいんじゃないかと。

今回記事で見ましたのは空手なのですが、これなどはグローバルの波にさらされないほうがいいんじゃないのかぁと強く思うような競技でした。空手には大きくわけて「形」と「組手」の2種目がありまして、記事のほうでは「形」の話をしています。なので、それは記事のほうで読んでいただきたいのですが、組手のほうにも「ガラパゴスのままのほうがいいんじゃないのかなぁ」と思うようなところはありました。

組手のほうでは要は殴ったり蹴ったりすれば得点が入るのですが(寸止めなので当てなくてもいい)、当たればいいというのではなく、姿勢や気力、さらには「残心」という攻撃後も集中力・緊張をとぎらせない態度などが判断され、審判員にイイ攻撃ですねと認められたら得点となる仕組み。剣道と似た感じで、美しい攻撃でないと得点にならないという気概のようなものがあるわけです。

僕はそれ自体はとても美しいし、空手家のなかで納得できているなら、そのままでいいと思うのです。ただ、オリンピックというグローバルに出たら、きっとそのままではいられないだろうなぁと思うのです。「気力も残心もクソもなく、当たったらポイントだろ」「当たるまでは避けられなかったかどうかわかんないだろ?」というのがグローバル基準だと思うんですね。全員が納得できるところってそれしかないので。

だから、グローバルな判定では「当たったら電気判定器でランプがつきます」「気絶したら負けです」という、誰がどう見ても納得できるものになるわけです。今は「寸止めで攻撃の美しさを評価」している空手も、やがては「問答無用で当たったほうがえらい」の世界に誘導されていくのです。オリンピックとかに出てしまったら。

今のままで十分美しいものを、そのままでヨシと思っている人があんなにたくさんいるのなら、何もオリンピックを目指すことはないんじゃないのかなぁと。柔道は確かにオリンピックを通じてグローバルになりましたし、それでメリットもたくさんあったとは思いますが、その過程で従来の柔道の美点というものを損なうこともあったわけでしょう。

空手もその道を目指すというのはわかるのですが、それが必ず幸せなのかどうかはわからない。柔道は「相手の背中を地面につけたら勝ち」というわかりやすいところがひとつあるので、ガラパゴスとグローバルの折り合いもつくのでしょうが、空手は「当たったら勝ち」をすでに捨てている時点で、難しいのではなかろうか。そんなことを強く感じる物見遊山でした。

まぁ、揉め事は揉め事で好きなので、いろいろ揉めそうな競技のオリンピック入りは楽しみではありますが。

<会長は、「お父さんお母さんを大切にしよう」「一日一善」の笹川ボートレース>
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<よくよく考えると、目の前でこんな気合を入れられても困惑>
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<審判の「はじめ!」の合図はカッコいいので流行る予感>
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<人によって微妙にポーズが違うが、そこに優劣はない>
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<優勝者に群がるカメラがたくさん!>
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