ホットプレートを買いました。

これは今を楽しく生きる工夫です。正直、必要なわけではありません。何かを焼くならフライパンで焼いて、そのままテーブルに持っていくだけです。しかし、それでは改めて「面白い」ところがありません。食事くらいしかイベントがない在宅生活において、ここを面白くしないではいられない。

そう思ってゼリーを作ったりタケノコをゆでたりしてきましたが、あるとき神の声が聞こえたのです。「たこ焼きを焼け」と。そして僕はたこ焼きをやることが今もっともモチベーションがわく食事であり、たこ焼き器を買うことがクオリティオブショクジを上げていく唯一の手段であると悟ったのです。

当初はニトリで売っている1000円くらいのヤツを買おうと思いました。しかし、みんな考えることは同じなようで、すでに世間は粉ものに殺到し始めていました。当然、たこ焼き器にも争奪戦が起きていました。「出荷は6月以降」との但し書き。6月まで待ってたら在宅終わっちゃわない?終わっちゃったらやらなくない?くーーー、どこの誰だ!たこ焼き器が売り切れるとデマを流したのは!え!?デマでなくなったわけじゃないんですか!?

安いヤツを物色していくと、ほかにもそれなりにあります。それなりにありますが、何だか常にレビューが荒れています。たこ焼き器のほぼほぼすべてのレビューで挙げられている「ムラがある」という難癖。レビューの基準が「ムラ」で統一されているようで、「ムラがあって残念」か「ムラがなくてよいです」か、絶対ムラ評価主義で星がつけられています。そして、安いヤツはほぼほぼムラ基準でアウトです。中心だけ焼けるとか、外側だけ焼けるとか。ムラなんかどうでもいいのですが、そんなにみんなでムラムラされるとムラがあるとよっぽどマズイのかなと不安になります。

「安物買いはダメなのか…?」

そのとき、別の視点からのクオリティオブショクジ対策が浮上しました。「そう言えば、焼きそばが毎回フライパンからあふれるよな…」「フライパンがこげついててギョーザがくっつく」「最初に全部焼いてしまうのではなく、少しずつ焼きながら熱々の焼肉を楽しみたい」などなど、焼き物についてわりと不満がたまっていることを自覚したのです。

もしかして、ここは一気に諸問題を解決するためにホットプレートを買ったほうがいいのではなかろうか。最近のホットプレートにはたこ焼き用の鉄板がついているそうで、それを使ってたこ焼きを楽しみ、ついでに焼きそばや焼肉のクオリティもまとめて上昇させるほうがいいのではないかと思い始めたのです。どうせ買うならエエやつがいい。各メーカーを検討し、最終的に象印の最新式を選択しました。

象印という絶対ブランド。実家のホットプレートも象印でしたし、何より僕が長年使っている魔法瓶が象印への信頼を高めていました。アツアツのものはずっとアツアツで、ヒエヒエのものはずっとヒエヒエ。飲み口は柔らかくて使いやすく、フタがとにかく一滴も液漏れをしません。10年近く使ってきて、ただの一度も漏れないそのフタ。「こういう地味なところだよな」というクオリティを、僕は常々そのフタに感じていたのです。

水筒のデキとホットプレートのデキはまったく別問題だとは思いますが、水筒のフタみたいな劣化しやすいところで10年ノーミスって、根っこの部分がしっかりしていないとできないことでしょう。パッキンとかゴムとかってケチろうと思ったらいくらでもケチれそうなパーツじゃないですか。象は細部に宿る、そんなフタを作れるメーカーならばきっとホットプレートもちゃんとしているはずだと信じたのです。ヒントでピントきたのです。

↓そして、象印がイチオシしてきたヤツを買いました!
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うへー、必要以上にデカイ!

でも、旧式のワンランク下のヤツと3000円くらいの差だったのでエエほうにしました!


届いてみると、ちょっと置き場に困るようなサイズ感でしたが、旅行カバンのように立てて置いておけるホルダーがついており、上手いこと台所の隅に突っ込むことができました。パーツはほぼすべてバラバラにすることができ、電熱器部分も単体で取り外すことができます。ホットプレートにありがちな「謎の隙間に入った肉が取れない」「本体を洗うときに電気の部分に水をかけそうで怖い」というメンテナンス時の悩みもなさそう。

「鉄板をしっかりセットしないと電熱器に電源アダプターを接続できない」という安全の仕組みや、鉄板を取り囲むようにガードがついていて「真上から手を置かないかぎり、うっかり鉄板に触れてしまうことがない」というセーフティなど、細かい部分まで配慮がされています。まぁ、この辺はタイガーやアイリスオーヤマも同じかもしれませんが、象印の最新オススメですから横並び以下ということはないでしょう。

↓で、早速タコ焼きを楽しみました!!


実はこのタコ焼きを楽しんだのは1週間くらい前のことなのですが、鉄板1枚で30個焼けるという設定と、30個全部埋めている場面を撮影したいという欲望で、アホみたいにたこ焼きを作ってしまったのです。そこからしばらくたこ焼き生活がつづいたうえに、「附属の鉄板3種類を全部使わないと動画にまとまらないな」ということでパンケーキと焼肉もやる必要があったため、時間だけがどんどん過ぎてしまいました。

連続たこ焼き責めと連続パンケーキ責め。それらを乗り越えてようやくたどりついた焼肉。いちいちしまうのも面倒なので、ずっとホットプレートを出しっぱなしという生活は、毎日がホームパーティーのようでした。ついでのようにソーセージ焼いたり、目玉焼き焼いたり、白飯に醤油を垂らして焦がしたり、もはや台所に立つ必要すらないほどです。

ホットプレートで調理しているだけで気分はパーティー。うちの父親がやたらとホットプレートを出したがる人だった気持ち、今ならわかるような気がします。取り分けた皿でそれぞれ食べるのはタダの食事ですが、ホットプレートを囲んでいるときは全員参加のパーティーでしたから。父親がホットプレート奉行をして、若殿が「肉!」「肉!」「肉!」と次の焼き物を指定していくあの時間。きっと父親は喜び勇んでその作業をしていたのでしょう。俺のホットプレートで我が子がハシャいでいるぞ…とでも思いながら。

こんなご時世でも絆を求めてバーベキューをしちゃう人がいますが、彼らもバーベキューがしたいというよりも、バーベキューのときにだけ感じる喜びがあるのだと思います。そして、それは今もっとも世の中に不足しているものなのです。せずにはいられないのでしょう。一方で世間も「そういう喜びを重視している人にありがちな性質を基本的にうとましく思っている」という部分があって、「BBQ・即・斬」の姿勢になっているのでしょう。僕のなかの斎藤一もBBQの金串を持ってBBQ民に牙突していますから。少し羨ましく思っていたりするのかもしれません。4人だったら、このホットプレートでのたこ焼きパーティーはきっともっと楽しいものでしょうから。

僕もそんな喜びをひそやかに感じて過ごしていきたいと思います。

「ホットプレートが本当にあたためるものは、僕たちの心なのかもしれないね」(神木隆之介さんの声で)