昨日、「明日も会社にいきたくない」「ずーっと会社にいきたくない」「7億欲しい」と思いながらつぶやきを投稿しましたところ、バズに不向きな自分にしては珍しく、4000リツイートを超えるバズりとなりました。

実は投稿する前に、普段はそんなことは思ったこともなく、そして狙ったこともなく、そういうことのためにつぶやいているのではないのですが、「これは3000リツイートくらいされそうな気がする」と思っていました。なので、3000リツイートぶんのやる気で誤字直しなどもしました。感覚の一致というものを体験できて、大変実りある経験となりました。自分の「ウケそう」と、現実の「ウケる」は案外遠くないのだなと。

で、そこからが問題でして、4000リツイートもされたのだから、多少フォロワーさんも増えているだろうと思ったのです。しかし、実際にアクティビティを見てみるとそのツイートから直接のフォローの増加は「1」でした。実数でもほとんど変わっておらず、バズりとフォローアップの関連性は薄いのだなと思いました。

単発のバズりというのは、あくまで単発のもので、目の前を通り過ぎていく消費型のコンテンツなんだなと思います。僕自身、面白いつぶやきはたくさん見ますが、じゃあそのアカウントに興味を持つかというと決してそんなことはないですからね。一発ネタはあくまでも一発ネタなのです。

やはり人格というか生き様というか、どういう人となりであるのかという部分こそがカギなのだろうと改めて思います。大喜利大会ではなく、ドキュメンタリー。それぞれが何を好み、どういうマインドで日々を過ごしているか、そこに共感や学び、好意が発生して初めて何かが始まるのだろうと。

バズを生み出すのが下手クソで、ある意味でそれは何らかの実力不足なのだとは思うのです。会社辞めてネットライターするのは無理だなという。しかし、そこを気にしても仕方ないなと思いました。僕には心地よいと思う空間や行動があり、そこに似たような人が滞留することが一番であって、自分を曲げて別の性質のものを呼び込んでも、そのゴザは快適にはならないのだと。そして、呼び込もうとしても、そんなに簡単に誰かは呼び込まれたりはしないのだと。

我も、彼も、互いに関せず。それでいいのだと。

ちなみに、僕のツイートでたぶん一番たくさんリツイートとお気に入りされたのがリオ五輪のときの吉田沙保里さんの記事なのですが、それでもそこからのフォローというのは16人くらいなんですね。今調べてみて「なるほどー」と思いましたが。この記事、すごい読まれたやつなんですよ。歴代ぶっちぎりのナンバーワンで、その1本で200万PVくらいあるのです。この1本でライブドアからトロフィー届きましたから。でも、必ずしも自分のマイベストとは同じではないので、そこは面白いなと思いますが。結局、日々どう生きていくか、それに尽きるのでしょうね。そして、その人自身に関心を持たれなければ、フォローするとかしないとかにはつながらないんだと。

↓たぶんこれが過去の最大リツイート。


本当は「バズったので自分でリプライつけて何かを宣伝します!」的な遊びもしようと思ったのですが、上記のようなことを考えているうちに、それは自分の生き様とは違うなと思い、やめました。何かに踊らされて、自分の生き様と違うことをするのは、みっともないなという気持ちもありますし、それを見るであろう人は、必ずしもそれを望まないだろうと思うので。

とまぁ、なかなか面白い体験をしたので、自分用のメモも兼ねて報告しました。なんかもうひと押しくらいすれば、自分史上初の1万お気に入りと、リツイート最高数更新も狙えそうなので、明日の気温が高い時間に一回リツイートでもしようと思います。1万お気に入りまでいったら記念のツイートでもしようと思います。どうですかね、次のチャンスはしばらくこないと思うんで、いってみたいですね。

↓正直、たまにやる替え歌のほうが面白いと思う。

なお、この記事を書いているあいだに、フォロワーが1減ってました。

世の中ってそんなもんです。


↓【追記】朝起きたら1万お気に入りいってました!多謝!
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