帰りの電車が止まりました。駅のホームで電車と人が接触したそうで、沿線一帯が止まったようです。ピリリリと小ぶりながら違和感を抱かせる警報が鳴って、すぐに電車はブレーキをかけました。立ち慣れたサラリーマンがたじろぎ、慌てて自分の吊り革を探します。

すぐに電気が消えました。アナウンスは女性の声で、電気と空調を切ったと知らせてきます。それまで意識しなかったことですが、じわりと汗がにじんできます。ほんのわずかな時間、空調を切っただけで電車のなかはそれまでの気配をガラリと変えます。そう言えばこの前、電車の事件を振り返ったなと思います。

運転席ではザラザラした無線が盛んに交わされています。2300とか謎の符合で会話が進んでいきます。僕はそれに聞き耳を立てます。何を言っているのかよくわかりませんが、とにかく安全の確認をしていることだけはわかります。女性の正式なアナウンスは何かを隠しているんじゃないかという気がして、必死に無線に聞き耳を立てます。運転席の窓は暗く、いくつかの小さなライトと、連結された向こう側の車両が見えるだけ。ゆらゆらと誰かのスマートフォンの光が流れて、目障りに視界をさえぎります。

10分、20分、短いような長い時間が過ぎて、遠くの車両の電燈がつきました。そして安全な区間とやらへ移動し、自分の上の電燈もつきました。それは電車を動かすときのお作法のようなものなのだとあとで調べて知りました。物事には安全な手順があって、それをきっちりと守っていくとそういう動きになるのだと。知ってから動きを振り返ると、まさにその通りだなと思います。

電気がつくとゴォッと音を立てて空調が動き始めます。駅についてドアが開くと、いつもの空気が入り込んできます。さっきまで緊迫していた車内は何事もなかったようにもとに戻り、周りを見ていた人たちがまたスマホの画面に目を落とします。いつも通りだなと思います。

さっきまで聞き耳を立てていた運転席をのぞくと、そこには椅子があるだけで誰もいませんでした。無線の音が流れていただけで、そこには緊迫も緊張も警戒も嘘もありませんでした。電気が消えるだけでこんなに弱ってしまうのだなと、日常から一歩外れたときのあやうさが、空っぽの運転席に座っているような気がしました。そして、空っぽの運転席の向こう側には、ザラザラしたたくましい人たちが構えているのだなと思いました。

わからなくてもいいこともあるのだと思いました。

明日も安心して電車に乗ろうと思いました。



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